カテゴリー:関東・甲信越地方
武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)の城で、甲斐源氏の流れを汲む18代当主信虎が甲斐を統一して1519年(永正16)に居宅を石和から移し、館(別名:躑躅ヶ崎館)を築いたことに始まる。また翌年には背後の山上に籠城するための詰城、 […]
甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣政権の重臣浅野長政・幸長親子らによって一条小山と呼ばれる丘陵地に築かれた平山城で、武田氏館に代わる城として築城された。本丸や稲荷曲輪・数寄屋曲輪は野面積の石垣が残り天守台は江戸城・名古屋城・会 […]
千曲川東方にある平城で北信濃を支配するために1560年頃、武田信玄が築いた海津城が前身で、川中島の戦いの武田方の拠点。信玄の死後城主はめまぐるしく変転するが、1622年(元和8)真田信之が上田城より移り、真田氏三代幸道の […]
1583年(天正11)千曲川の分流である尼ヶ淵にの河岸段丘上に真田昌幸が築いた城。城は1585年(天正13)徳川軍約7,000を迎撃し、撃退に成功。さらに、1,600年(慶長5)関ヶ原に向かう家康の三男秀忠率いる東軍38 […]
平安末期、源義仲の挙兵に従った武将のひとり小室光兼が後に源頼朝に仕え、この地に宇頭坂城を築いたのが小諸城の起源とされる。その後南北朝時代に小室氏は衰退し、大井光忠が1487年宇頭城跡を整備し鍋蓋城を築き、その子が出城の乙 […]
信濃守護家の小笠原氏が支城の一つとして1504年(永正元年)築いた深志城が松本城の前身。1550年(天文19)武田信玄が信濃府中に進出し小笠原氏の駆逐し、深志城を兵站基地に大改修した。1582年(天正10)武田氏が滅亡す […]
1547年(天文16)武田信玄は信濃に侵攻し、三峰川と藤沢川が合流する河岸段丘上にあり、三方を河川に囲まれる天然の要害である高遠城を攻略し、山本勘助や秋山信友に命じて大規模な改修を行い、本丸をはじめ、各曲輪は空掘りによっ […]
新発田城は菖蒲城ともいわれ、戦国時代には上杉謙信の父長尾為景と対等に渡り合えるほどの力をもった新発田氏の居館跡に1597年(慶長2)入城した溝口秀勝が翌年から新たな縄張りにとりかかり、3代溝口宣直の時代に完成し、代々溝口 […]
越後守護代から戦国大名にとなった長尾為景が本格的山城として拡充・増強を実施し、跡を継いだ影虎(上杉謙信)が整備強化し、戦国時代第一の要害。為景、朝景、影虎(上杉謙信)、景勝ら上杉家4代の本拠地である。春日山城は、春日山( […]