豊臣秀吉の家臣で賤ケ岳の七本槍の一人として名をあげた加藤嘉明が、関ヶ原の戦いでは徳川家康側として参戦し、その戦功として伊予を与えらた。嘉明は1602年(慶長7)標高132mの勝山山頂に五重天守を持つ本丸を置き、山麓に居住 […]
大洲城は、鎌倉時代末期の1331年(元弘)伊予守護の宇都宮豊房が築いた「地蔵ヶ嶽城」が始まりといわれ、戦国末期まで200余年にわたって居城とした。豊臣秀吉の四国平定後は小早川隆景、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治と城主が次々 […]
宇和島城は、リアス式海岸の宇和海の最深部に位置する、中世に築かれた板島丸串城の跡地に1596年(慶長1)藤堂高虎が入城し、自身の初の居城として大改修に着手。1601年(慶長6)天守が完成し近世城郭としての体裁を整えたが、 […]
高知城は鏡川、江の口川を外堀とした約44mの大高坂山に関ヶ原の戦い後、掛川から入封した土佐藩初代藩主の山内一豊が築いた城で、この地には、もともと南北朝時代に大高坂松王丸によって築かれた大高山城という居城があったという。1 […]
福岡城は関ヶ原の戦いの戦功で筑前一国を与えられた黒田孝高・長政親子が、古代の大宰府の役所の一つで、外国使節の接待を行った迎賓館としての機能を持った鴻臚館が築かれた場所に新たに築いた城で1607年(慶長12)に竣工。さらに […]
663年、同盟国関係にあった百済復興を支援するため天智天皇は朝鮮半島に軍勢を派遣するが、白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れ百済は滅亡。この結果、連合軍が日本に来襲することを恐れた大和朝廷は対馬から北部九州、瀬戸内海沿岸 […]
国内統一を果たした豊臣秀吉は、大陸進出を目指すようになり、その前線基地として1591年(天正19)名護屋城の築城を九州の諸大名に命じ、突貫工事により数ヶ月で巨大な五重天守が建つ総石垣造りの大城郭を完成させた。朝鮮出兵のた […]
弥生時代前期、標高1,000m前後の背振山地南麓の吉野ヶ里丘陵一帯には小規模なムラが分散していたが、次第に統合拡大され、弥生時代後期には集落がさらに北部へと広がり、約40haを超える国内最大級の環濠集落へと発展した。V字 […]
佐賀城は、1608年(慶長13)戦国大名の龍造寺氏の居城であった村中城を、家臣であった鍋島直茂・勝茂親子が改修・拡張して築城した典型的な平城で、幅50m以上の広い内堀と幾重もの外堀を巡らし、巨大な五重天守が建てられていた […]
平戸港に突き出た三方を海に囲まれた標高約53mの亀岡山に、1704年(宝1)平戸藩5代藩主松浦棟が山鹿流の築城術を用いて築城に着手し1718年(享保3)完成された平山城。この地は、かつて初代松浦鎮信(法印)が1599年( […]