高取城は奈良盆地と吉野川に挟まれた標高583mの高取山山頂に築かれた山城。南北朝時代にこの地を納めていた越智氏が1332年(元弘2・正慶1)に奈良と吉野を結ぶ要衝の芋が峠を監視するため築いたといわれる。一時信長の命で大和 […]
和歌山城は紀ノ川と和歌川に挟まれた標高48.9mの虎伏山に1585年(天正13)豊臣秀長が築城し、その後関ヶ原の戦いの功績で1600年(慶長5)に入った浅野幸長が天守を建て、内堀や石垣の改修を行った。さらに1919年(元 […]
鳥取城は16世紀中ごろ標高263mの久松山山頂に山城が築かれたことに始まる。1587年(天正9)羽柴秀吉が大軍で12kmにもわたる鳥取城包囲網を築き兵糧攻めを行った。この作戦は戦国時代の籠城戦上凄惨を極めた。この事態に吉 […]
松江城は関ヶ原の戦いで戦功があった堀尾吉春・忠氏親子が徳川幕府の許可を得て宍道湖を見下ろす標高28mの亀田山に、1607年(慶長12)より4年の歳月をかけ築城した平山城。1611年(慶長16)に完成した四重五階地下一階の […]
月山富田城の築城時期はっきりしないが各時代の出雲守護の居城として用いられ、室町時代は京極氏が治めた。1395年(応永2)京極氏の守護代として尼子持久が入り、その後1486年(文明16)尼子経久が戦国大名として京極氏から独 […]
弘安の役(鎌倉時代2度目の蒙古襲来)後の1281年(弘安4)鎌倉幕府はさらなる元の襲来を警戒して能登の吉見頼行に石見の防衛を命じ1295年(永仁3)から30年がかりで標高362mの山頂に三本松城を築いたと伝わる。関ヶ原の […]
津山城は、室町時代に山中忠正が高さ50mの鶴山に鶴山城を築いたことが始まりで、応仁・文明の乱で廃城となったが、関ヶ原の戦功により1603年(慶長8)に入った森忠政(本能寺の変で討死した森蘭丸の弟)が、鶴山を津山と改名し1 […]
天守は現存12天守のうち最小であるが、唯一山城に残っている天守である。 備中松山城は鎌倉幕府の地頭、秋庭重信が1240年(延応2)の臥牛山の大松山に居城を築いたのが最初といわれる。秋庭氏は6代続いたが、目まぐるしく城主が […]
鬼ノ城は吉備高原の南端標高約394mの鬼城山に築かれた約30haにも及ぶ巨大な朝鮮式城郭構造をもつ山城である。「日本書紀」などに記載がなく謎の城だが、663年に百済救援に向かった倭国が白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に惨敗 […]
岡山城は旭川の西の丘陵地にあり、南北朝時代には石山城と呼ばれていた砦が存在した。その後金光備前の居城となったが1570年(元亀1)これを宇喜多直家が滅ぼし、城を手に入れ大改修に着手したが1581年(天正9)に志半ばで死去 […]