二本松市街地の北に位置し、345mの「白旗が峰」に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城で、別名「白旗城・霞ヶ城」。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となる。戊辰戦争では奥州列藩同盟として新政府軍に攻められ落城、焼失。二階櫓・ […]
別名「鶴ヶ城・黒川城」ともいう。南北朝以降の蘆名氏の居城で戦国期の黒川城が基礎となる。1590年会津に入った豊臣秀吉が蒲生氏郷に支配させ、氏郷は城の大改修を実施。名称も黒川から若松と改め七重の天守を築き上げたが、1611 […]
陸奥関門として重要な地であった小峰ヶ岡に位置する。築城名人と謳われた丹羽長重がこの地に移り10万石の居城にふさわしい城に4年の歳月を費やして大改修した梯郭式の平山城。その後、松平定信をはじめ7家21代の大名が居城したが、 […]
常陸国の中心に位置する要衝で水戸台地の東端に立地する三つの曲輪が並んだ連郭式の城。鎌倉時代、馬場氏の築城といわれ、その後江戸氏、佐竹氏を経て水戸徳川家の城となる。徳川御三家の居城として大幅に手を加え、石垣を一切用いない土 […]
12世紀末、源姓足利氏2代目義兼が築城した居城という説が有力。その後、邸内に氏寺として鑁阿寺が造営された。水掘りと土塁に囲まれた鎌倉時代の武士の居館の典型であった方形居宅としては、在地領主クラスとして最大級。
西側には榛名白川、南側は榛名沼が天然の水掘りとなり、南北約1,100m、東西約500mという広大な城域を大堀切で南北に分断し、河岸段丘の地形をいかして曲輪を配置した平山城。城は戦国時代初期に関東管領山内上杉氏の重臣長野氏 […]
金山城は、新田氏の一族である岩松家純によって1469年に築城された。標高239mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上に、西城・北城(坂中城)・八王子山ノ砦の4つの曲輪を造成し、これを堀切・土塁などで固 […]
鉢形城跡は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上の天然の要害の平山城。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点。鉢形城は1476年(文明8年)関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられ […]
川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、1457(長禄元年)に家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城したもの。当初は、本丸、二の丸、三の丸、八幡曲輪程度と思われ、石垣 […]
鹿島川と高崎川の合流部東岸の要害台地に位置し、千葉氏が築城をはじめたが工事が完成しないまま1590年滅亡。その後1610年、徳川家康が土井利勝に命じて、地形を活かし曲輪の周囲を土塁で固め、空掘りを掘って7年の歳月を費やし […]