2009/12/25 カテゴリ:登城録(北海道・東北地方)
さて、やっと東北・北海道編は最終回になりました。2009/11/9 7:30ホテルからタクシーに乗って弘前城へ。先ずは昨日夜行った大手門広場の 「ミニチュア構造物」で写真を。弘前は「棟梁堀江佐吉の洋風建築と前川國男の近代建築」が併存している街。時間がないので実物の建物は観て回れませんのでここで我慢です。
それでは、昨日辿り着けなかった弘前城本丸を攻略です。
津軽氏の居城。広さ約49.2ha東京ドーム10個分以上の敷地で三重の濠と土塁に囲まれ、6つの廓で構成されています。現在の天守閣(雷で焼失)は1811年に再建されたもの。前に登ったので天主閣は今回パスです。桜の時期は非常に綺麗な所ですが、またこの時期も良いですね。
本丸から岩木山を望む。雲がかかってますね。
さあ~て、あちこち観ていると列車に乗り遅れます。弘前駅にとって返し10:28発「かもしか2号」に乗車で秋田へ向かいます。
乗車時間2時間、秋田は初めてです。
久保田城は駅から近いということでしたが道が濡れており、かなりの雨が降ったとか。途中で道を聞きましたが「久保田城」では分らず地元では「千秋公園」と言うようです。ここは紅葉が真っ盛り。丁度良い時期に当たりました。
再建された本丸正面一の門
市制100年を記念して再建された御隅櫓(新兵具御隅櫓)で、赤い欄干がある最上階は展望室。
時間が経つのは早いですね。フラフラしているうちに盛岡へ行く時間になってしまいました。「東海林太郎の記念碑」や「秋田市民族芸能伝承館(ねぶり流し館)」を駆け足手観て廻り、秋田で昼食を取るつもりが、時間なしで、駅弁を購入。
※「ねぶり流しとは竿灯と呼ばれる以前、昭和前期までの名称で、ねぶり流しのねぶりは、眠りのことで、秋田では眠いことを「ねふて」「ねぶて」などと言いう全国で見られる眠り流しのこと。この眠り流しは、祓(はら)えのために汚(けが)れを形代(かたしろ)などに託して水に流す神送りの行事が、夏季の睡魔を追う行事として発達したもの。 旧暦の七夕(7月7日)前後に、秋田だけでなく青森、弘前、黒石、能代などでねぶり流し行事を見ることができ、青森の「ねぶた」や弘前の「ねぷた」も同じように「ねむたい」が語源とも言われている。(秋田市民族芸能伝承館HPより)とのこと。
小振りの竿灯が置いてあり、担いでみることができますよ。
東海林太郎は直立不動で歌う秋田県出身の歌手ですが、もう歌っているところをTVで見られた方は少なくなったかな。歌碑は「母に捧ぐる歌」は「作詞:サトウ・ハチロー/作曲:阿部武雄. 昭和10年(1935年)2月に、東海林太郎の歌でレコード発売された」と。
14:28発「こまち86号」乗車です。
16:03盛岡着、もう薄暗くなってきました。写真撮れるかな?駅前からタクシーで先ずはスタンプを押しに。
岩手銀行の建物もライトアップされました。盛岡城も何回も行っているので見当がつくかと思いましたが、暗くなってしまい、何処から城址に登るのか?登城口が分らず時間を食ってしまいました。
赤い橋は、本丸の奥御殿と二の丸御殿を結ぶ廊下橋。
これで、今回の東北・北海道巡り終了です。時間に追われる旅でしたが、なんとかスケジュール通りで、予定より一本早い18:41盛岡発「はやて28号」に乗車。21:08東京着!お疲れ様でした