2009/11/30 カテゴリ:登城録(北海道・東北地方)
2009/11/8本日も晴れ。5:30起床。7:00発のスーパー白鳥10号に乗車しなければなりませんので、朝から時間がありません。朝風呂に入って身支度です。朝食は6:30から。その前に函館名物朝市へ行って「数の子入りの松前漬」をGET。今日も時間に追われるかな・・・・
で、7:30木古内着。
松前行きのバスが連絡しているということで、駅舎を急いで出ましたが、乗客我々入れて3人。バスの運転手さんが「トイレ行ってください。松前まで1時間30分位ですから、発車待ってますから」と。途中、1時間ほど、乗降客なしです。道筋、運転手さんの観光案内付きでしたよ。
国道228をひた走り。北島三郎氏の実家を通り過ぎ、写真は北海道最南端の白神岬です。この岬を越えると海も一変、白波が立つ荒々しい日本海です。9:10定刻松前着です。
ここで1時間30分程見学時間を取っていましたが、次の移動を考えると「1本早く電車で青森まで行ったほうが良い」との結論でバスの時刻を確認。9:56松前発の「快速バス松前号」があり。
さあ、時間がありませんよ。急いで急いでです。松前城は、海からチョットの高台にあり。入城料を払い、荷物を預けて、コンクリート造りの天主閣を一気に上がりましたが、松前城は「日本最北」かつ「北海道唯一」かつ「国内最後」の日本式城郭とのことです。
海側から天守を望む。
御三層櫓で実質天守。内部は松前城資料館で鉄筋コンクリート造りです。
天守の左側に位置する本丸御門。
さあ木古内へ戻りま~す。途中「千代の山・千代の富士」の両横綱の出身地福島町を通過、車窓からの見学。立派な施設です。見学できませんでしたので「横綱千代の山・千代の富士記念館(福島町役場)のHPでご覧下さい。
続いて、青函トンネル記念館を通過。
北島三郎のふるさと知内町を通過。北島三郎のピンクの実家をパチリ。木古内駅に戻ってきました。
12:08発の「スーパー白鳥22号」には若干時間があったので、ここで腹ごしらえ。駅前はなにもなし?
そこで駅員さんに食べるところを聞いて駅前の中華料理屋?名代やきそば急行です。
で自慢の焼きそばを食!結構美味しでした。
木古内沖は幕府がオランダから購入した初めて太平洋を渡り、その後、戊辰戦争に巻き込まれ、軍艦から物資輸送船となり、函館を経由して小樽へ向かう途中の「咸臨丸」が暴風雨で遭難し「サラキ岬」で破船・沈没したところ。そういえば昨日函館へ行く時車窓から見えた大きな看板がその場所でした。
定刻12:08発の「スーパー白鳥22号」に乗車です。青森に向かいます。
13:36定刻青森着。駅前なのに人がまばらです。
駅からバスで、「三内丸山遺跡」へ。このバスがまた1時間に1本。戻りはタクシーにならざるを得ないかな?この遺跡群はユネスコの世界遺産暫定一覧表に今年1月5日付けで記載されたとか。
名称:Jômon Archaeological Sites in Hokkaidô, Northern Tôhoku, and other regions
http://whc.unesco.org/
三内丸山遺跡は日本最大級の縄文集落跡で、江戸時代から知られていたところ。発掘調査によって、今から約5,500年前~4,000年前の集落跡で1,500年間にも渡り縄文人が生活していたところ。
平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大人の墓、子供の墓、盛り土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物、貯蔵庫、粘土採掘抗、捨て場、道路跡が見つかりその様子が再現してあります。
ボランティアガイドさんが、青森弁で、解説してくれましたが、4,000年前からゴミの分別廃棄をしていたとは驚きです。
また、女性のボランティアさんが発掘作業を手伝っていて、地層の断面から、縄文土器等が出てきたときの驚きの感動を話して頂きましたが、その「感動の言葉」を忘れてしまいました。至極残念。
見張り塔?は栗の木で、柱穴は直径約2m,深さ約2m,中に直径約1mの栗の木柱が入っており、6本柱で長方形の大型高床建物と考えられ想像復元されていますが、復元にあたり栗の木はロシアから輸入したとか。(購入価格1億円?)
ここに立つと想像が膨らみますね。どうやって丸太を切ったんでしょうか?どうやって丸太を運んだんでしょうか?縄文人と同じところに立ち、同じ景色?を観ているのですよ。
大型建物もあり。半地下で、長さ約32m、幅10mもあります。中は非常に広く、集会場、共同作業所、共同住宅等説がありますが、分りません。
時間の経つのを忘れていました。青森発16:09の電車に乗らなければなりません。タクシーで青森駅までひと走りです。
青森16:09発「つがる17号」に乗車。弘前16:45着。
本日は ルートイン弘前駅前泊です。本日はここまで、で次回に・・・・