2010/12/31 カテゴリ:登城録(中国・四国地方)
2010/9/11今日も快晴。早朝から出発です。ところが松山インターの入口が、うる覚えで分らず行ったり来たりで、インターに乗るまで30分も無駄にしてしまいました。
丸亀城8:30着。石垣 内堀から天守閣へ向け、4層に重ねられた石垣は、高さにして約60 メートル、日本一の高さを誇り、また、扇の勾配の美しい曲線は圧巻ですよ。
堀には亀が泳いでます。丸亀なので、放してあるのかな。
非常に高い所に天守があります。石垣の積み重ねが、分かりますか。
天守閣は四国内では最も古く、1660年に完成。日本一小さな現存木造天守閣だそうです。登りがきつかったですが、瀬戸内海が一望。非常に景色の良い所です。
続いては高松城。10:30順調に着。
高松城は、またの名を玉藻城。その由来は万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことにちなんで、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるといわれています。
瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は日本の三大水城の一つと呼ばれており、本丸を中心に時計回りの方向に二の丸、三の丸、桜の馬場、西の丸が配され、三重の堀とともに堅固な構え。
お堀は水門で瀬戸内海とつながっているためお堀の水は海水。このお堀に真鯛が泳いでいます。「鯛願成就とは浮きエサを与えて、鯛の願いを叶えた人の願いも叶うという寓話。もうひとつの意味は、玉藻公園開園以来、半世紀以上に渡り多くの人の注目を集めて来た天守閣の復元構想が成就しますようにと、対岸の天守台に想いを馳せた。」とのこと
高松港が直ぐ目の前で、昔は宇高連絡船に乗って本州と四国を行き来したものです。
写真は月見櫓で右下の門は水手御門。海へ漕ぎだすための門です。天守閣は2010年より復元工事が開始されており、石垣の一部が積み上がっていましたよ。完成まで何年かかるのでしょうか?
それでは、再び高速に乗って徳島へ向かいます。途中、津田の松原SAで食事休憩。さぬきうどんのセルフサービスの店「あなぶき家」で昼食。自分で湯がいて、好きなトッピングを選びます。こんなスタイル始めてです。
さて、先を急ぎます。
徳島城址ですが、石垣のみで、堀も埋め立てられ公園となっています。徳島は「眉山」の麓の「阿波踊り会館」に寄ることを徳島県人から進められましたが時間がなくてパスでした。今度、時間がある時に観たいものです。下の写真は「下乗橋(小見付橋)」。元々は城内の堀に架けられた木製の太鼓橋で、御殿のへの正面出入り口にあたり、橋の前で乗物から降りて歩いたことに由来している。現在は水平の石橋に。
徳島から、まだ行ったことのない、平家の落人村「かずら橋」に寄り道します。約2時間半、途中大歩危・小歩危を観ながら山道を走ります。吉野川を左下にみて、崖っぷちを走ります。大歩危で休憩。遊覧船ですが時間が遅くもう終了のようです。
どんどん細い道を走って峠を下ると、谷の両側の急斜面に張り付くように家が点在する平家の落人村といわれる祖谷に着です。かずら橋を渡るのは有料ですよ。かずら橋の耐久年数は3年程度で、都度架け替えが行われるとのことですので、架け替え費用に充当かな。
これは、チョットというか、怖いでしょう。揺れるのと、下を見ると足元から川が・・・足がすくみます。妻は渡るのを断念でした。せっかく、ここまできたのにね。
この場所以外、さらに40分くらい奥に行くと、奥祖谷にかずら橋が二本並んで架かっている場所があり、通称「男橋女橋(おばしめばし)」とも「夫婦橋(みょうとばし)」などとも呼ばれていると。そういえば、いつかTVで昔観たことがあったかな。
祖谷の名物と言えば「蕎麦」。
本日は高知泊ですが、時間が時間なので、そば処「祖谷美人」でチョット腹ごしらえ。
18時になってしまいました。それでは、高知に向かいます。本日は高知泊です。ホテルで聞いた、郷土料理のお勧め店「旬屋」へ。
女将さんは土佐の女。酒豪だと。おいしくいただきました。お疲れさま。