2010/04/27 カテゴリ:登城録(中国・四国地方)
2010/3/21黄砂で日の出の太陽が黄色くボンヤリです。泊まったホテルを7:30に出発です。
岡山と言えば「吉備団子」ですね。岡山城開門まで、時間があるため、先ずはお土産を見に岡山駅に。「吉備団子」と言えば桃太郎ですね。
まだ、時間があるので、日本3名園の一つ岡山後楽園へ。丁度、門が開いた所で早速中へ。岡山城が黄砂で霞んでいます。
ちなみに、日本3名園は兼六園(金沢)・偕楽園(水戸)・後楽園(岡山)です。これで3名園は全て廻りました。
岡山城へは、後楽園を抜け月見橋を渡って行って来ました。9:00やっとスタンプをgetです。
黄砂も少しはおさまって来ましたよ。
さあ、もう9:30 次の目的地「鬼ノ城」へ出発です
山陽自動道岡山・総社ICで降りて約8kmとのことでしたが、山の頂。ビジターセンターの駐車場まで車1台が通れる狭い道。すれ違いは待避所で、車が降りてこないことを祈りつつ一気に登り切り10:15ビジターセンター着。
しかし、鬼城山の山頂へはここからまだ徒歩約400m。またこれがキツイ。
見ての通り、まるで映画のセットのようですね。そういえば「隠し砦の三悪人」という黒沢明監督の映画がありましたね。まだ鬼ノ城は発掘整備中で、いつ全容が明らかになるか?・・・
「鬼ノ城は,すり鉢を伏せたような形の山で,斜面は急峻だが頂部は平坦であり、この山の八合目から九合目にかけて,城壁が2.8kmにわたって鉢巻状に巡っている。
城壁は,一段一列に並べ置いた列石の上に,土を少しづつ入れてつき固めた版築土塁で,平均幅約7m,推定高は約6mもある。要所には堅固な高い石垣を築いており,その威圧感は天然要害の地であることとあわせ,圧倒的な迫力をもっている。このように,版築土塁や高い石垣で築かれた城壁は,数m~数十mの直線を単位とし,地形に応じて城内外へ「折れ」ていることに特徴がある。」
「城壁で囲まれた城内は比較的平坦で約30ヘクタールという広大なもので,4つの谷を含んでいるため,谷部には排水の必要から水門が6ヶ所に設けられており,また,出入り口となる城門が4ヶ所にある。城内には,食品貯蔵庫と考えられる礎石建物跡やのろし場,溜井(水汲み場)もある。この他に城内には貯水池とみられる湿地が数ヶ所ある。さらに兵舎,各種の作業場なども予測されるが未発見である。」
とても広くて回りきれません。あちこち重機が入って立ち入り禁止。しかし、この場所が発掘整備されても、登山道が未整備ではね・・・・
さあ、11:00次の目的地「備中松山城」へは48km。出発です。
標高430m臥牛山頂付近に建つ天主は、国の重要文化財で、現存天主を持つ山城としては最も高い所にある城です(12:15着)
ちなみに日本三大山城(岩村城・高取城・備中松山城)の一つとか。
車では「城見橋公園」までしか行けません。ここで、乗合バスに乗って狭い曲がりくねった坂道を、路肩ぎりぎりに登っていき「ふいご峠」駐車場で降ろされます。
ここからがまたキツイ登り30分の歩きです。大手門付近は、高さ10m以上の切り立った岩壁がそびえ、難攻不落の名城と言われる由縁です。
天主閣は白い漆喰塗の壁と黒い腰板のコントラスト、快晴となったので、空も綺麗です。
ところで、私は「備中高松城」と「備中松山城」を間違えていたことに気が付きました。羽柴秀吉の水攻めにあったのは「備中高松城」
この「備中松山城」は山陰と山陽を結び東西の主要街道も交差する要地で、戦国時代は激しい争奪戦が繰り広げられたところですが、水攻めにはあっていません。
高梁川が流れているので、この川を堰き止めて・・・・と今の今まで思い込んでいましたが、何か変?とHPを調べてみて大きな間違いに気づいたところです。
さて、13:30下山です。ふいご峠まで戻って、帰りのバスで駐車場へ向かい、次の目的地「津山城」へ出発です。
15:10美作一国18万6,500石を領して入封した初代津山藩主・森忠政が、鶴山に築いた平山城の津山城着。
ここは平山城ですから、楽でしたよ。但し城ですから石段を登らないことには天主閣跡地には行けませんが。
時期的に桜はもう少しということでしたが、西日本有数の桜の名所として「日本さくらの名所100選」に選ばれているとのこと。
ここ津山市は「男はつらいよ寅次郎」のロケ地でもありますよ。さあ、これで本日の予定は終了。
今日の宿泊地 和田山へ向かいます。それではまた・・・