北条氏の本拠地の小田原城を再々登城、一夜城から相模湾を臨む

2014/10/30 カテゴリ:日本100名城 ,登城録(北陸・東海地方)

久しぶりに晴れたので、何回も登城している小田原城の写真が見つからないので、再々?登城です。平日の高速道路は空いているかと思っていましたが、東名高速集中工事中で3車線が工事区間は2車線になっており渋滞。時間が掛ってしまいました。

北条氏時代の小田原城は城と城下町を全部包み込んだ総構(惣構)で、当時としては圧倒的な規模と鉄壁の守りを誇ってたが、山中城・八王子城等々支城が次々と落とされ、海上も封鎖され孤立無援に。現在の小田原城は江戸期に枡形門や天守をもつ近世城郭として改修されたものを基に、復元されたもの。

23小田原城

二の丸から常盤門を見上げたところですが、赤い橋が印象的です。

小田原城

天守閣は地震や等で4度建てかえられ現在の天守は1960年(昭和35年)に鉄筋コンクリート造りで外観復元されたもの。

小田原城

左から、復元された銅門、馬屋曲輪、住吉橋を望む。

小田原城

二の丸の水掘りと平櫓で小田原城に残された唯一の江戸時代のものであったが関東大震災で石垣ともに倒壊してしまい、その後復興されたものだが、当時のものとは違っていると。

小田原城

箱根に行く時、気にはなっていたが一度も訪れたことのなかった一夜城(石垣山城)へも今回は寄ってきました。ここは、1950年豊臣秀吉による小田原城攻めのとき、一夜にして築かれたと言い伝えられている山城。実際には約80日延べ4万人が動員されたという。秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしている。ちなみに、淀君は九州の名護屋城にも行っており、どういう移動手段で動いたのでしょうか?

小田原城の戦いは、4月3日、そうそうたる戦国大名の兵約22万が小田原城に籠城する北条氏約5万4千の兵を包囲し7月5日開場降伏まで続いた。本陣たるこの一夜城に立つと、小田原全体や、相模湾が一望でき、戦略上圧倒的有利な場所だあったことが分かりますよ。また、よくこんな場所に石垣を築いたもの(関東で最初に造られた総石垣の城)だと当時の権力者の圧倒的な力を見せつけられるところです。

小田原

帰りは、箱根を回って御殿場から高速にと、これも初めて箱根の旧道を登っていくと、よく旅情報でTVに出る甘酒茶屋(峠の茶屋)を発見。旧東海道を歩いている人多いのですね。休憩している人がいっぱいでした。

本来は甘酒を頂くところですが、運転ということで?パス。こんにゃく味噌団子と磯辺揚げですが、ともに500円。高すぎでしょう。

小田原

仙石原のススキ原を観て帰路に。

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