2015/05/29 カテゴリ:番外編
2015年5月8日、100名城を巡り始めた頃に行った箕輪城へ天気も良いので出かけてきました。
前回は2009年6月7日の登城でしたがHPを整理していて写真が少なく再登城を前々から考えていたところでした。
ついでですので、今回は、高崎城・箕輪城・小幡陣屋の3ヶ所。および、今話題のコンニャクパークとラスクを有名にした「ハラダ」の工場見学も予定に組み込みました。
6:30品川の自宅を出発。首都高速中央環状が開通しているため、これを利用して関越自動車道へと思い五反田の入口へと向かいましたが、不覚にも首都高入口手前を右折してしまい、大回りして首都高へ。ところが、入ったは良いが、長いトンネルが続き関越方面の表示板がなし。表示板を注意しながら進行しましたが、気が付くのが遅く東名方面へ進入してしまい、用賀で一般道(環八)へ。出だしから失敗です。
気を取り直し環八を北上して関越へ。箕輪城から高崎城への予定でしたが、妻がナビに入れた電話番号が高崎市文化財保護課の番号だったため、変だな~と思っていたら立派な高崎市役所へ9:00到着。違うだろう!!これで本日二度の失敗です。場所を確認すべきでしたね。
高崎城は、高崎市の中心部、烏川流域の東岸に築かれた城。徳川四天王の一人、井伊直政が箕輪城に入った後、徳川家康の命により1597年(慶長2)箕輪城南方約10kmのこの地に築城を開始し、箕輪城から翌年築城途中の高崎城に移ったとのことです。
城址公園には、もとは本丸北西にあり、明治初期に払い下げられ近郊の農家で納屋として使用されていたが、1979年(昭和54)県の重要文化財指定に伴い移築復元された乾櫓と、同じく移築された三の丸東門が残っています。なお高崎城の絵図に描かれた東門とは形状が異なるため一説には二の丸にあった藩主居宅の門であるとも言われていると。
城の周囲は土塁が巡っています。
現在の立派な市役所は三の丸跡に建っているとのことです。また市役所のパンフレット置き場で、前回は頂けなかった箕輪城のリーフレットを発見。また高崎城下町散策・小幡街歩きマップ・楽山園等のリーフレットも揃ってました。
さて、本日の一番の目的地、100名城の一つ箕輪城へ向かいます。
今日はここまで・・・続きは次回