カテゴリー:関東・甲信越地方
常陸国の中心に位置する要衝で水戸台地の東端に立地する三つの曲輪が並んだ連郭式の城。鎌倉時代、馬場氏の築城といわれ、その後江戸氏、佐竹氏を経て水戸徳川家の城となる。徳川御三家の居城として大幅に手を加え、石垣を一切用いない土 […]
12世紀末、源姓足利氏2代目義兼が築城した居城という説が有力。その後、邸内に氏寺として鑁阿寺が造営された。水掘りと土塁に囲まれた鎌倉時代の武士の居館の典型であった方形居宅としては、在地領主クラスとして最大級。
西側には榛名白川、南側は榛名沼が天然の水掘りとなり、南北約1,100m、東西約500mという広大な城域を大堀切で南北に分断し、河岸段丘の地形をいかして曲輪を配置した平山城。城は戦国時代初期に関東管領山内上杉氏の重臣長野氏 […]
金山城は、新田氏の一族である岩松家純によって1469年に築城された。標高239mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上に、西城・北城(坂中城)・八王子山ノ砦の4つの曲輪を造成し、これを堀切・土塁などで固 […]
鉢形城跡は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上の天然の要害の平山城。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点。鉢形城は1476年(文明8年)関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられ […]
川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、1457(長禄元年)に家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城したもの。当初は、本丸、二の丸、三の丸、八幡曲輪程度と思われ、石垣 […]
鹿島川と高崎川の合流部東岸の要害台地に位置し、千葉氏が築城をはじめたが工事が完成しないまま1590年滅亡。その後1610年、徳川家康が土井利勝に命じて、地形を活かし曲輪の周囲を土塁で固め、空掘りを掘って7年の歳月を費やし […]
太田道灌が1457年築いた江戸城を、徳川家康が本格的近世城郭に築き直した巨大城郭。江戸城の天守は三度建て替えられており、1607年に家康が建てた初代天守は現在の天守台位置より南側にあり、大坂城をはるかに超える巨大なもの。 […]
八王子城は高尾山から景信山へ続く尾根北側の独立峰の頂上部、標高約450mを中心に築かれた巨大山城で、北条氏の支城。山上の要害地区と山麓の居館地区(御主殿跡)、周辺の砦や竪掘りの防御部分からなっている。1590年6月23日 […]
15世紀頃に大森氏が城郭とし、北条早雲の攻略以降、北条氏の本拠となった。北条氏は城を逐次改修し、上杉謙信や武田信玄の侵攻をも退けた難攻不落の城となり、関東を制覇した。そのころ豊臣秀吉が天下統一を目指し、4代氏政に降伏を勧 […]